365日後とそれまで

父親目線での家族blogです。楽しかった事や悩み事を書いていきたいと思います。

義理父コンプレックスが高校生になると

高校生になると義理父が家に帰ってこないのでほぼ会っていません。

 

友達の家に遊びに行くと父親と友達が仲良く話したり送り向かいをしてもらっているのが羨ましく思い始めました。

 

晩御飯を家族みんなで食べる。

大雨の時学校に車で送ってくれる。

家族で買い物に行く。

など友達は当たり前の事が私には当たり前ではありません。

 

友達の家にずっと泊まるようになり友達の親からはおかえりと言われ、晩御飯も用意してくれるようになりました 笑

迷惑じゃないと言われましたが絶対迷惑かけていたと今では思います。

 

友達の父親と話していると

【大丈夫】

という言葉が沢山出てきます。

 

私のバイクが壊れた時も直るから大丈夫。

何事も大抵の事は大丈夫だよと言ってくれる友達の父親の言葉に安心感や信頼感をすごく感じました。

大丈夫という言葉でこんなに安心するんだ。

義理父にこんな事思った事ないと思ってしまいました。

 

私の家族に大抵の事は大丈夫と言うようにしようと思っています。

大丈夫、どうにかなる。

 

どうにかしないといけない立場になったのでそこはプレッシャーではありますが、最終的にみんなが笑えてれば良いのかなと。

 

笑顔がたえない家族にしたいと思っています。

 

私自身がすぐに悩んでネガティブになってしまう性格なので大丈夫と一言心の中で言いながら。

私の小学生から中学生時代

小学生の頃の家族の記憶にある事は

富士山に車で行った事。

遊園地に行った事。

運動会くらいです。

 

あまり思い出と言うものはありません。

 

大人になり運動会の時の話を義理父から聞いた事があります。

お前はスリルが欲しいと言ってリレーの時全力を出していなかった。

自分より遅い相手に合わせて余裕ぶっていたと。

 

そんな事よく覚えているなーと嬉しく思いましたが、スリルが欲しいってダサすぎると恥ずかしくもなりました。笑

 

中学生以降は義理父は仕事という理由でほとんど家に帰ってこなくなるので会っても1年で数回程度になります。

自然と義理父と会話する事はなくなり、話す時になると何を話したらいいか分からなくなり、接し方が分からなくなりました。

コミュニケーション不足すぎますよね。

 

中学生の時

義理父は良い人だ。

怒らなくて優しい人。

お酒もタバコもしない。

あんなに良い人は居ない

と、いとこに言われた事があります。

 

ですが私の気持ちは違いました。

私に興味がなく、ただ優しく怒らないようにしているだけ。

良い人には見えているだけ。

と思っていましたがそんな事は言えないので

そうかーとしか言えませんでした。

 

私が義理父になりコミュニケーションは大切にしています。

長女が布団で携帯をいじっていたら無駄絡みをしに行き、ずっとふざけています。

私の母親にあんたら何してんの?と言われましたが嫁がいつもこんな感じなんです。うるさいですよね!と言っていました 笑

 

どこか遊びに行き、娘の楽しい思い出を作るのも大切ですが日々の何気ない時にふざけて遊んでコミュニケーションを取る大切さは重要だと思っています。

 

長女の宿題で作文があり、一緒に考えてと言われました。

題材が難しい話だったので一緒に考えるというか私が考えてる 笑

 

作文はちゃんとした物を出すべきだと思います。

ですが、私がふざけ始めた事をきっかけに作文は意味の分からない壮大な話になり終始笑いながら書いていました。

 

先生に怒られる気がしていましたがなぜか怒られなかったみたいです 笑

作文としては間違った事は書いていません 笑

 

あの作文面白かったと長女が言っていたので私的には満点です。

幼少期の思い出が作り出す物

小学校に入る前に両親が離婚しています。

幼少期の頃本当の父親からしてもらった事で覚えている事がありますが、それが成長に影響があったなと思っています。

 

それは塗り絵とバイクの2人乗りです。

 

父親は塗り絵が上手で、枠を濃いめに塗って他はそれより薄めに塗っていました。

それをマネして書いていたのを覚えています。

それから絵を書くが好きになり中学生くらいまで絵を書いていました。

たかが塗り絵だと思うかもしれませんが、幼少期に父親がしてくれた事を私も次女にしたいと思っています。

私も一緒に塗り絵をする事で感性を養ったり思い出作りをしたいからです。

まだ次女は赤ちゃんなので先の事ですが私がされたように次女にもしてあげたいです。

 

バイクは2人乗りでプラプラしていました。

会話の記憶は全くないのですが、楽しかったのは覚えています。

それの影響で大人になるとバイクに興味があり中型免許を取ってバイクに乗っていました。

幼少期にしてもらった事は大人になるにつれ影響力があるんじゃないかと思うようになりました。

 

長女はまだした事のない経験や次女はまず遊びからになりますが、何かのきっかけや良い影響がありそうな事をしてあげたいと思います。

 

私がしてもらった事以上のことをしてあげたい。

 

それが本当の父親に出来る恩返しでもあるかもしれません。

数年前に亡くなったと連絡が来たのですが、その時にまじまじと写真で顔を見ました。

正直顔はあまり覚えていませんでした。

 

どんな人だったのか、いとこに聞いてみました。

イケメンで話がうまくて面白い人だったと。

 

話がうまくて面白い父との会話を覚えていたら私もそうなれたのかな?と思ってしまいました。

義理父コンプレックスが義理父になる

経験から私が思った事を成長過程に合わせながら書いていきます。

 

小学生の時に母が再婚したのですが、その理由は私が父親が欲しいと言ったからです。

なぜそう言ってしまったのかその時の私にもわかりません。

悪い事を言ってしまったと思っていました。

それがきっかけでお見合いで知り合った義理父と母は結婚しました。

 

結婚してすぐに義理父の仕事の都合で引っ越し・転校する事になり、知らない土地で新生活を始める事になりましたが、そのタイミングで苗字が変わった事に慣れた?お父さんと呼んでと言われ正直戸惑いました。

 

子供ながらに気を使い、苗字に慣れたしお父さんと呼ぶと言いました。

 

お父さんと呼ぶのがこんなにもストレスになるんだなと...

 

私が義理父になり長女にお父さんやパパと呼ばれなくていい。

ずっとあだ名でいい。

産まれたての実子にも将来はお父さんやパパなどと呼ばれなくていい。

次女がパパと呼ぶと長女にプレッシャーを与えてしまいそうで怖いからです。

そう嫁に伝えました。

 

そんなの気にしなそうだけどね!

と言われましたが、子供ながらに気を使う事は経験済み。

子供は分からないように気を使い、周りの大人の反応を見ているのでそんな思いはさせたくありません。

 

ゆっくり娘達の成長を見守りたいと思っています。

365日後

理想の家族ってなんだと思いますか。

私は母親の再婚した義理父にコンプレックス?寂しさ?を感じていた事があります。

 

中学生の頃くらいから義理父は仕事という理由でほとんど家には帰ってこなかったので会っても年に数回くらいでした。

 

その頃はなんとも思っていなかったのですが高校生くらいから友達が父親と楽しそうにしている所などを見ると私がそうなりたいとは思いませんが、羨ましいなーと思っていました。

 

これが普通の家族なんだろうな。

私の家族みたいにはなりたくない。

 

と高校生から思い始めました。

 

そんな私が義理父になりました。

シングルマザーだった嫁と結婚しました。嫁の子供からしたら他人です。

私のような気持ちにさせたくないという思いが強くあります。

 

子供に嫁がもし私と結婚したらどうする?と聞いた時に血の繋がりなんか関係ないと言っていたと聞いた時は嬉しかったですねー。

 

私が思う理想の家族を目指したいと思いました。

正解・不正解が分からないので思った通りになるとは思いませんが、私が出来る事はしようと。

 

2人目の子供を授かり、無事出産しましたが、そもそも嫁は他県に住んでいるので子供の学校の都合上一緒に住むのは1年後なのです。

 

このblogでは私目線でそれまでと過去の話や楽しかった事を箇条書きみたいになりますが書きたいと思います。

 

その他は今している家族での話など笑えるかはわかりませんが楽しく書いていきたいと思います。